炎症 性 乳がん。 一般的な乳がんと比較して進行が速い「炎症性乳がん」って?

肉芽種性乳腺炎か炎症性乳がんか不安です

炎症 性 乳がん

【 炎症性乳がんの症状】 炎症性乳がんは、胸が赤く腫れ、オレンジの皮の表面のように皮膚が凸凹になった症状をいいます。 胸の皮膚下にあるリンパ管に癌ができると、リンパの流れスムーズにいかなくなり、むくみが発生します。 その結果、毛穴がへこみ、オレンジの皮の表面のようになります。 この状態は、初期段階ではなく、ある程度進行した状態と言えます。 胸に赤い腫れを発見した場合は、できるだけ早く、専門医に受診することが大切です。 【 炎症性乳がんの原因】 炎症性乳がんは、閉経年齢が高い人や初潮年齢が低い人、出産・妊娠経験のない人は発症リスクが高いとされています。 出産・妊娠経験のない人は、女性ホルモンの一種であるエストロゲンの影響を受けやすくなるためです。 その他には生活習慣が原因ともされています。 高脂質・高タンパク中心の食生活だったり、アルコールを過剰に摂取する人は発症率を高くしてしまうので、日常の生活習慣にも気をつけなければいけません。 【 炎症性乳がんの検査と診断】 炎症性乳がんの検査方法は、まず病理学的検査です。 患部の皮膚の一部を採取して、顕微鏡にて検査します。 がんを発症している場合は、皮下のリンパ管にがん細胞が入り込んでいることが確認できます。 通常の乳がんの診断に有効なマンモグラフィー検査では、殆ど発見できません。 またレントゲン撮影でも発見が困難です。 超音波検査などの方法を併用して検査することにより発見することができます。 【 炎症性乳がんの治療方法】 炎症性乳がんの治療法は、手術よりも抗がん剤や放射線療法が使われます。 まずは抗がん剤を服用し、腫瘍が縮小するかを観察します。 腫瘍が縮小して手術が可能となれば乳房切除の手術が行われ、術後には放射線療法やホルモン療法を行います。 逆に抗がん剤でも腫瘍が手術可能とならなかったり、切除に失敗した場合には放射線療法や全身療法を行っていきます。

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一般的な乳がんと比較して進行が速い「炎症性乳がん」って?

炎症 性 乳がん

2017年6月22日夜、市川海老蔵さんの妻で元フリーキャスターの 小林麻央さんが「進行性乳がん」で2年半の闘病生活の末、34歳の若さでお亡くなりになりました。 先ずは小林麻央さんのご冥福をお祈り申し上げます。 小林さんのブログでの前向きな闘病報告は多くの方への励みにもなったと思います。 「乳がん」は、近年、日本人成人女性の国民的な病気となり、12人に1人という高い割合で発症する病気といわれていますが、今回は 一般的な乳がんと進行性乳がんとの違い、その 初期症状と 検査法、 症状の写真や画像、 治療法、そして、 予後、 進行ステージと 生存率の因果関係などついてまとめてみました。 局所進行性乳がん「ステージ3」• 転移性乳がん「ステージ4」 *乳がんの「ステージ」(病状進行の程度)については、後述します。 そして、 「進行性乳がん」の1つの型として、 「炎症性乳がん」があります。 *罹患率=一定の期間内において、国や地方の人口に対する、特定の病気にかかっている人の割合(発生頻度)のこと。 2015年の日本における乳がんの罹患者数(女性)は、約9万人と言われていますので、 「炎症性乳がん」を発症する女性は、年間で 900~3600人程度いると考えられています。 このような従来の「乳がん」と違うタイプである「炎症性乳がん」は、 1814年に Charles Bell(チャールズ・ベル)によって初めて症例が記載されました。 しかし、 「炎症性乳がん」という病名が使われ始めたのは、 1924年に James Ewing(ジェームズ・ユーイング)の提案を受け、 Lee (リー)と Tannebaum(タンネバウム)が IBC(inflammatory breast cancer)という病名を提出した時からです。 これは、実に、 Bellの症例記載から110年も経た後のことでした。 「進行性(炎症性)乳がん」とは、乳がんの中でも 急速にがん細胞が進行し、 予後が非常に悪く、 治療が難しい病気として知られています。 このように、「一般の乳がん」より若い20~30代で発症する乳がんは、 「若年性乳がん」とも呼ばれています。 日本乳癌学会の統計によると、「若年性乳がん」の乳がん全体の約2. *一般的な「乳がん」は 40~50歳の間に最も高い罹患率を示します。 一方、 妊娠授乳期の「炎症性乳がん」の発症率は、「炎症性乳がん」全体の 約2%と低い傾向です。 また、「炎症性乳がん」は、発展途上国において罹患率が高い傾向があります。 「進行性乳がん」の中で一番多いタイプは 「ホルモン受容体陽性乳がん」です。 乳がんの「ステージ」とは 乳がんの「ステージ」は以下のように分類されています。 「ステージ0」: 非浸潤(ひしんじゅん)がん=乳管内に発生した がん細胞が乳管内にとどまっている状態。 「ステージ1」:がん腫瘍の大きさが、 2cm以下の浸潤がんで リンパ節への転移がない状態。 「ステージ2」:「ステージ1」と「ステージ3」の中間の状態。 「ステージ3」:がん腫瘍の大きさが 5cm以上で、 リンパ節転移が確認されるか、(腫瘍の大きさには関係なく)リンパ節への 転移が4箇所以上確認された状態。 「ステージ4」:(腫瘍やリンパ節転移の個数に関係なく) 遠隔部位への転移(肺、肝臓、骨などへの)が確認された状態。 「進行性乳がん」の基準の1つとなる、 局所進行性乳がん「ステージ3」は、腫瘍による しこりの大きさ(径)よりも、 がんの進行度合いによって判断されます。 がんの進行度合いについて具体的に言えば、「がん細胞が胸の真ん中にある 胸骨の横側のリンパ節や 乳房の広範囲まで増殖している状態」です。 もう1つの基準とされる、 移転性乳がん「ステージ4」は、 鎖骨上のリンパ節、乳房近くにある 肺や 肝臓などの臓器、さらに胸部から離れた場所、例えば 脳などに転移している状態です。 がんの転移については、乳がんに関わらず、早期発見の機会を見逃してしまうことによって、 血液やリンパの流れに沿って転移してしまいます。 「進行性乳がん」の多くは、 ホルモン受容体陽性(HR)か ヒト上皮成長因子受容体2陽性(HER2)の2タイプで、「進行性乳がん」の中で一番多いタイプは、 「ホルモン受容体陽性の乳がん」です。 また、「ホルモン受容体陽性の乳がん」は、乳がん細胞内の受容体が女性ホルモンと結合することで、細胞分裂が促進され、 がん細胞の増殖が非常に早い傾向があります。 進行性(炎症性)乳がんの初期症状(写真・画像) 炎症性乳がん(皮膚の赤い腫れ) 炎症性乳がん( 橙皮状皮膚) 《NewHealthAdvisorのHPより引用》 「炎症性乳がん」は、おもに乳頭周辺に発症し、確認できる 「しこり」もなく、皮膚に赤みや腫れが見られるのが特徴です。 「炎症性乳がん」と似たような症状を持つ病気としては、妊娠授乳期に発症しやすい 「急性乳腺炎」があります。 「炎症性乳がん」の典型的な初期症状は以下の通りです。 乳房に 熱感(温かく感じる)がある。 乳房に 痛みを感じる。 急速に大きく厚く乳房の 外観が変化する。 乳頭がへこむ( 陥没乳頭)。 腕の下や鎖骨の周りの リンパ節が腫れる。 「炎症性乳がん」は、一般的な乳がんと違って「しこり」が形成されませんので、通常の乳がんのセルフチェックで触診しても分からない場合がほとんどです。 また、「炎症性乳がん」には「しこり」が無いので、マンモグラフィーで検診しても初期の段階では画像でキャッチできない可能性もあります。 上記のような症状を感じたら、ただちに専門医にご相談されることをおすすめします。 進行性(炎症性)乳がんの検査法(画像診断法) 炎症性乳がんのサーモグラフィー画像 進行性(炎症性)乳がんの検査法として、現状では以下のような方法が用いられています。 マンモグラフィー• 超音波• MRI• PET• Gallen Conferences(サンクトガレン会議)と呼ばれる会議が、スイスの古都である St. Gallenで2年に1回開催されています。 この会議の最終日には、世界各国から参加してくる、「乳がん治療の専門家」によって行われるコンセンサス会議で、新たな治療指針が提案されます。 ザンクトガレン会議で出された「コンセンサス」に基づく治療方針は、「乳がん」の初期治療に対する世界共通の考え方になります。 「乳がん」には、様々なタイプがあり、それによって進行速度や再発のリスクが異なるので、治療方針もタイプ別に考えられます。 「乳がん」のタイプは、5つのサブタイプに分類され、このサブタイプに適した 薬物療法( 化学療法、 ホルモン療法、 抗HER2療法)のいずれかが選択、または併用され、それに基づいた治療方針が決定されます。 炎症性乳がん「ステージ」別の進行度・治療法・生存率は? では最後に、乳がんの「ステージ」ごとによる進行度・治療法・ 生存率(2004年の日本乳癌学会症例報告に基づく)を見てみましょう。 「ステージ0」• 進行度: 超早期• 治療法: 手術または 放射線療法(薬物療法は適応されないケースが多い。 5年後の生存率: 97. 進行度: 早期• 治療法: 手術または 放射線療法に並行して 薬物療法を行う。 (ホルモン受容体陽性の場合は ホルモン療法単独、それ以外の場合は 化学療法が適応となるケースが多い。 5年後の生存率: 96. 63% 「ステージ2」• 進行度:一般に早期乳がんは「ステージ1」だが、5年後の生存率は「ステージ2」でも 早期といえるほど高い。 治療法:「ステージ1」と基本的に同じだが、 乳房切除(全摘)のケースが多くなる。 5年後の生存率: 90. 進行度:がん細胞の増殖が比較的に進行した状態で、 腫瘍のサイズも大きく、 リンパ節への転移も多い。 治療法:治療は、「ステージ1・2」と同様だが、 放射線療法と化学療法を併用するケースがほとんどであり、手術も 乳房切除(全摘)が多い。 5年後の生存率: 72. 48% 「ステージ4」• 進行度: 転移性の乳がん• 治療法: 薬物療法(抗がん剤が中心、ホルモン療法)が中心であり、がんの転移がひどいために 手術の適応は限定されてしまう。 5年後の生存率: 42. しかし、「若年性乳がん」の場合は、ホルモン療法や分子標的療法が効かないケース( トリプルネガティブ)が、多いと言われています。 しかしながら、化学治療は、日進月歩で新薬もたくさん開発され、例えば、次のような新薬も開発されています。 (日本未認可を含む) PARP阻害剤 がん抑制遺伝子の一種である BRCA breast cancer susceptibility gene の変異細胞に 「 PARP阻害剤」 が作用すると、がん細胞のDAN修復機能が作用しなくなり、がん細胞が死滅すると考えられています。 この薬は、日本では未認可ですが、遺伝子の変異を持った 「遺伝性乳がん」に対しての効果が期待され、さらなる研究が続けられています。 血管新生阻害薬 「がん細胞」が、成長(増殖・転移)するためにはヒトの体から栄養を摂取する必要があります。 このがん細胞に栄養を供給するプロセスは、 「血管新生」と呼ばれています。 Bevacizumab Avastin (べバシズマブ(アバスチン))と呼ばれる、血管新生阻害薬は、進行性乳がんの治療への有効性を試す臨床試験が行われています。

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TOBYO : 炎症性乳がんの闘病記・ブログ 48件

炎症 性 乳がん

炎症性乳がんは,まれな乳がんの一つです。 通常,しこりはみられませんが,腫瘍のある乳房の皮膚が赤くむくみ,夏みかんの皮のように毛穴が目立つようになります。 熱感も伴い,あたかも乳房に炎症があるような症状であることから,このように呼ばれています。 皮膚の赤み,熱感は,がんがリンパ管に広がってリンパ管をふさいでしまうために,皮膚のリンパ液の流れが悪くなって起こるとされています。 乳がんという名前が付いていますが、最初に症状が出るのが胸のあたりのためそう呼ばれているだけで、どちらかと言えばリンパ管・リンパ節のがんに近い印象があります。 しかしながら抗がん剤や放射線療法、そして手術を合わせることで生存率は向上してきているそうです。 2010年当時、炎症性乳がんについての情報はほとんどなかった 祖母が炎症性乳がんを発症したのは2010年のこと。 当時はネット上には炎症性乳がんについて詳しく書かれているサイト・ページはほとんどありませんでした。 ときどき、なにかの会報に載っていたであろう患者さんが書いた手記や個人ブログがあるくらい。 それでも充分ありがたい情報でした。 ネットの次に頼りにしたのは図書館の本。 私が住む新潟県長岡市では、市内にある図書館の蔵書は全てキーワード検索ができるようになっていたため、たくさんの本の中から炎症性乳がんについて書いてある本を探すことができました。 ですが、市内の図書館じゅうの蔵書を探しても、炎症性乳がんについては乳がんの専門書一冊の中で数行触れられているのみ、またはほとんど記載なしという本が多かったです。 2010年当時は苦戦した情報集めですが、現在ではがん関連のサイトや個人ブログの闘病記も増えたことで、情報は格段に集めやすくなったと感じます。 一番参考になった本 乳がんの専門書にすらほとんど情報がない炎症性乳がん。 そんな中で一番参考になったのは「朝まで生テレビ!」でおなじみの田原総一朗氏の妻である田原節子氏の著書でした。 著者:田原 節子• 単行本:256 ページ 炎症性乳がんの発症、再発、そして最期を迎えるまでの心情が細かく綴られています。 「内容が暗い、重い」というレビューもありますが、患者さんやその家族が読むと明るく前向きな印象を受けると思います。 症状がまとまっているわけではないのですが、他に情報がない中で田原節子さんの本は非常にありがたい存在でした。 発症から最期まで ここからは祖母の様子や症状などを時系列で書いたのち、詳細を後述していきたいと思います。 日付は祖母のつけていた日記と私のスケジュール帳を照らし合わせて書きました。 病状と経過 祖母はほぼ一人暮らしの状態だったため、叔母の家に身を寄せている期間は自宅療養の期間ととらえてもらうと良いです。 実際の入院期間は2週間程度と短かったです。 2月24日:かかりつけの町医者で血液検査• 3月1日:町医者に祖母と叔母の2人で受診、そのまま総合病院を紹介され検査• 3月5日:病院で傷口を診てもらう• 別の病院を紹介される。 以降、そちらの病院に通院。 3月15日:祖母に患部 胸 を見せてもらう。 赤く腫れているのを確認• 3月25日:叔母宅に身を寄せる。 強い痛みあり。 このあと1ヶ月ほど叔母宅に身を寄せる。 初期は痛み止めの副作用で吐き気や嘔吐あり。 その後は経口薬と座薬を併用。 4月のはじめには経口薬 錠剤 のモルヒネ処方。 合わせて頓服として経口薬の痛み止めを使用。 4月5日:孫が集まり、担当医師に話を聞きに行く• 4月20日:近所でお花見、車からの移動などは徒歩• 4月25日:車いすで屋外へ。 立ちくらみを起こす。 わきの下のリンパ節に腫れと痛みあり。 腕にむくみが出る• 4月30日:痛みを訴える。 入院へ。 5月2、4、6日:病院へお見舞い。 食欲もあり、痛みも抑えられている様子• 5月14日:お見舞いへ。 テープ剤のモルヒネがかなり大きいサイズになる。 ぼんやりし、会話が難しくなる。 腕、足に激しいむくみ• 5月16日夕方:血圧が低下し、家族・親族が呼ばれる• 5月17日:日付が変わってすぐに逝去 祖母は82歳と高齢だったため、手術等の積極的な治療はせず、痛みを取ることを中心とした緩和治療のみを受けました。 とはいえ最初の通院から3ヶ月ほどで永眠。 非常に進行が早かったです。 以降は各時点での詳細や気付いたことなどを書いていきます。 発症・受診:2月の末 祖母とは住まいが別だったため、発症してすぐの様子・症状は叔母から後で聞いた形です。 「胸の辺りが赤く腫れた」ということで、まずは自分でかかりつけの町医者へ。 その後、総合病院を紹介され、通院・検査をしていたそうです。 私が祖母の通院を知ったのは3月に入ってから。 サイズとしては手のひら二つ分くらい。 胸の上全体をほぼ覆う感じです。 この時、診察に付き添っている叔母はすでに病名を知っていたのですが、私はまだ聞かされておらず。 実際に患部を見ても「湿布かなにかでかぶれたんだろうなー」と楽観的にとらえていました。 福祉・介護系の仕事に従事しており、一般の人よりも医療に詳しい母もかぶれだろうという認識でした。 祖母が最初に異変に気付いた時期はわからないのですが、たぶん年が明けてから、2月くらいだったのではないかと思います。 3月の頭には腫れは胸全体に。 祖母は高齢のため、これでも発症から患部が広がるまでの期間は遅い方だと思います。 若い人だと胸の上あたりに赤い発疹を発見、虫刺されかと思って放置しているうちに、数日程度 3日というのも読んだことあり で胸全体に広がることもあるそうです。 「炎症性乳がん」と診断:3月9日頃 総合病院で生体検査 生検:患部の細胞の一部を採取して、顕微鏡で調べる検査 を受けた結果、「炎症性乳がん」と診断されました。 自分が病名を聞いたのはもうしばらく後になってからだったのですが、胸に出る湿疹、進行して炎症部位が広がっている点、そして叔母から聞く症状・検査内容から、ネットで得た知識で炎症性乳がんか乳房パジェット病 ページェット病 のどちらかではないかと予測できていました。 祖母の日記をみると、祖母の子供 私の父と叔母 と一緒に病院に行った記録が。 病名がわかってすぐに積極的な治療は行わない等の方針が決められたのだと思います。 紹介された病院・転院の記録 最初はかかりつけの町医者、その後は総合病院の「長岡赤十字病院」 通称:長岡日赤病院 で検査、そこで炎症性乳がんと診断されました。 症例が少なく、診断が付きにくいといわれる炎症性乳がんですが、祖母はすぐに病名がわかったようです。 そして診断が出た直後に「長岡西病院」に転院となりました。 転院・通院は以下のような流れです。 かかりつけの町医者• 長岡赤十字病院 検査・診断• 長岡西病院 通院・入院・看取り 転院先の長岡西病院には炎症性乳がんに詳しく、治療経験が豊富な医師がおり、その先生が祖母の担当になりました。 また、終末医療 ターミナルケア に力を入れており、ホスピス 緩和ケア病棟・ビハーラ病棟 が設置されているという点も考慮されたのだと思います。 「近いうちに入るかもしれないから」と、母と叔母はビハーラ病棟の見学にも行ってました。 日本国内では珍しい仏教系の緩和ケア病棟のため、遠方から来る患者さんも少なくないそうです。 総合病院のため私も何度か診てもらったことがあるのですが、待合室の奥にある夜間入り口の上部には仏像っぽさを感じさせる子供が描かれたステンドグラスがあったりします。 追記:2018年夏 その後、祖母とは血縁関係はないのですが身内で乳がんになった人が。 現在、新潟県は大きな病院と通いやすい近くの病院・医院を組み合わせて乳がん治療を進める地域包括医療に取り組んでいるそうです。 その話の中で「西病院のあの先生は乳がんに詳しいから」と、祖母の担当だった先生のお名前が出てきました。 医師に直接話を聞きに:4月5日 通院に付き添っている叔母からの又聞きだと詳細がわからないこともあったため、親族の中で時間の取れる人 主に孫 が集まり、医師に直接話を聞きにいく機会を作りました。 こちらからも質問ができ、気になっていることや現在の病状、今後考えられる症状などを詳しく聞くことができました。 病名は炎症性乳がんであること• 強い痛みが出る病気であること• 今後、発疹部分から浸出液やにおいが出ること• 今まで診てきた患者さんの様子• 今まで診た中で一番ひどかった症状 ステージや余命等ははっきりと言われませんでしたが、「進行が早いがんなので、そんなに長くは……高齢ですし、長くても本人がつらくなりますので、ね。 」という感じで、やんわりと余命が短いことを告げられました。 自分もわかっていたので詳しくは聞かず。 最初の頃に叔母は「お盆くらいまでがひとつの目安ですかね」と言われたことがあるようです。 治療しない状況では、発症から半年程度が目安なのかもしれません。 話を聞いた後は用紙に代表者の氏名、続柄を書いて帰ってきました。 憶測なのですが、かなり年輩の先生ということもあり、私が住む地域で炎症性乳がんに罹患した人の多くは昔からこの先生に診てもらっていたのではないかと思います。 衛生状態が良くない時代のことだとは思いますが、ちょっとショッキングな話もありました。 痛みのほか、やはりにおいや浸出液が大きな問題となってしまう病気のようです。 痛みと鎮痛剤、モルヒネについて 3月下旬に急に強い痛みが出て、救急外来に駆け込んだことがありました。 それ以降は薬がないと痛みを抑えられない状態に。 薬が切れかけると「バンバンと張るような痛みを感じる」と祖母は言っていました。 激しい痛みが出始めた初期 3月下旬 は痛み止めの副作用で吐き気や嘔吐の症状があり。 その後は経口薬と座薬を併用するように。 4月のはじめには経口薬 錠剤 のモルヒネの処方が開始され、副作用である便秘の症状が強く出ていました。 4月15日からは体に貼り付けて鎮痛成分を皮膚から吸収させるテープ剤・フェンタニルパッチ 貼り付けタイプのモルヒネ の使用を開始。 テープ剤はがんによる疼痛・激しい痛みがある患者や嚥下障害などでモルヒネの内服が困難な患者に用いられるそうです。 また1回貼れば約72時間 3日間 持つ持続性も特徴。 祖母は腹部に貼っていましたが、上腕部、大腿部に貼る場合もあるそうです。 最期に近い頃は、かなり大きなサイズのテープ剤が貼られていました。 胸部の腫れ 3月15日に胸部を見せてもらった時は、胸の上あたりが赤くなっている感じでしたが、4月の初めのころには胸全体、そして首、わきに伸びるように患部が広がっていました。 ただれやかぶれのようだった患部は少し盛り上がり、炎症性乳がんの特徴である、肌がオレンジやはっさくの皮に似た腫れ方をする「オレンジ皮様皮膚」または「橙皮状皮膚」の状態に。 患部の色は赤〜暗めの濃い赤色・紫に近いような色。 毛穴の部分だけは膨らまず、より目立つようになるのでオレンジの皮に似た凸凹とした見た目になります。 また、腫れた部分は意外とカチカチとして硬い感じになっていました。 この頃は患部から浸出液が出るようになっていたので、患部に塗り薬を塗ったあとは吸水パッドのようなものを当てて浸出液を吸わせるようにしていました。 悪化すると浸出液とともに血液も出ることがあるそうですが、祖母は透明〜黄色っぽい浸出液だけでした。 わきの下のリンパの腫れ、手のむくみ 4月の末にはわきのリンパ節が大きく腫れ、 転移なのかはわかりませんが しこりのように丸く大きくなっていました。 触ると痛みがあるそうで、座っている時などは肘掛けに腕をのせてわきに当たらないように。 それと同時に腕や手にむくみが出てきて、伸縮性のバンドに替えた腕時計も付けられなくなりました。 痛み止めの副作用で吐き気が出ることや便秘になることはわかりやすく説明、流れ出る浸出液を見て「なんでこんなに出るんだか……」と気が滅入っている様子だったので、「膿みたいなものだから、中にたまっているより外に出るほうがいいんだよ」という感じで 若干のうそも混ぜつつ 話して安心させていました。 農村部の貧しい家の出だった祖母は読み書きが苦手だったため、薬の説明書きは読めず。 副作用についても読み上げてわかりやすく説明する必要がありました。 当時は「こういった説明は子供がすべきで、孫である私の仕事ではないのではないか」と少し苛立ちを覚えたりもしましたが、親ががんになり、死期が近いことを知った状態ではそこまでの余裕はなくなってしまうのだと、今なら思えます。 うそも混ぜていましたが、それについては今でも後悔はしていません。 私の説明を聞いて安心した様子の祖母の姿は強く印象に残っています。 あのとき自分にできた一番のことだったのかな、と思います。 入院:4月30日 ゴールデンウィークに入る直前、「痛みが強い、このままだと我慢できなそう」ということで急遽入院することになりました。 モルヒネによる痛み止めは不安感があると効きにくくなる傾向があるそうです。 たぶん、連休に入り、病院に行けなくなることへの不安が大きかったのだと思います。 入院後は安心したのかわりと元気に過ごしている様子でした。 しかし次第に薬が増え、テープ剤のサイズが大きくなるにつれてぼんやりとした感じで反応が薄くなり、徐々にですが会話が難しくなっていきました。 食事は自分の手ではとれなくなっているものの、食欲はあるようで、口元まで運ぶとほとんど残さずに食べてくれていました。 こんな感じは息を引き取る前日の夕食の時まで続きました。 逝去:5月17日0時過ぎ 最初の受診から3ヶ月、入院から2週間ほど経った日、夕食を食べたあとに血圧が低下したため家族・親族が呼ばれました。 一度集まったものの、今夜は持つだろうということで一度解散に。 しかし夜中近くになって体温、心拍数が低下。 肩呼吸から下顎呼吸になり、次第に呼吸の回数が減り、そして一回の呼吸の間が長くなっていき。 他の親族は間に合いませんでしたが、病院に残っていた自分は祖母の最期を看取ることができました。 下顎呼吸の兆候が出て、個室に移ってから1時間ほど。 長くなる呼吸の間、これで最後か、と思う呼吸が数回。 しばらくして来た担当医による確認。 死とはこんなにも静かに訪れるのかと思うほど、非常に穏やかな最期でした。 葬儀 深夜に逝去、そして六曜の関係で通夜・葬儀までに3日ほどかかりました。 病院でのエンゼルケアの段階で胸の所にはパッドが厚くあてられていたようです。 また、ドライアイスも胸のあたりに置かれていました。 まだそれほど暑くない時期のわりにドライアイスが多く使われていた印象があります。 そのおかげか、火葬まで日数がかかりましたが、線香以外のにおいを感じることはありませんでした。 がんはやせ細って亡くなるイメージがありますが、闘病期間が短く、そして最後まで食欲のあった祖母は元気な頃の顔そのもの。 近所の方も「全然変わらないね」と驚いていました。 闘病中のにおいについて 心配していたにおいですが、叔母宅での療養中、入院中、そして最期を迎える時まで、腐敗臭・刺激臭のような強いにおいを感じることはありませんでした。 しこりができる乳がんでも、皮膚までがんが浸潤している進行性乳がんの場合は炎症性乳がんと同じように浸出液やにおいが出ることがあるそうです。 メーカー:新潮社• カテゴリ:Kindle版• 以下ネタバレを含みますが、乳がんが再発した主人公は治療を受けずに出産することを選びます。 出産後、自宅を訪れた友人 医師 がにおいで乳がんを放置・悪化していることに気付く場面がありますが、たぶん皮膚まで進行したがんが発するにおいに気付いたのだと思われます 炎症性乳がんに関係あるかと思って読みましたが、普通の乳がんの話でした。 あえて言うならという程度なのですが、薬の臭いなのか、溶剤のような独特のにおいをわずかに感じました。 でもけっして強いにおいではないので、ほとんどわかりません。 家族内で気付いたのもにおいに敏感なほうの自分だけです。 その後、別の機会に乳がんの人 たぶん炎症性乳がんの人 と会う機会があったのですが、その時も同じ臭いを感じたので、炎症性乳がんに関係するなんらかのにおいなのだと思われます。 最後に:まとめ 祖母が使っていた時計。 普通のベルトから伸縮ベルトに替えました。 誰かのお役に立てれば幸いです 祖母の逝去してから6年。 当時情報がなくて困ったこと、そして数少ない体験談が参考になったこと思い出し、いつかまとめたいと思いつつもなかなか書けずにいました。 親族の目に触れることもあるかも、と考えてしまったり、書き始めてみるものの当時を思い出してつらくなったり。 でも今回やっと書き上げることができました。 まとめるにあたり、あらためてネットで情報収集をしましたが、今はいろんなサイトがあり、当時との情報量の違いに驚きました。 そして役立ったのが祖母の日記と自分の手帳。 記憶は残っていても、それがいつだったかというのはけっこう忘れてしまってます。 毎日日記を付けていた祖母に感謝です。 そんな感じで、最後まで暗いのもなんなので。 「そういえば七回忌ってしないの? うちの親族忘れてない??」というわずかな疑問を残しつつ、祖母の闘病記を締めくくりたいと思います。

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